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2/28(水)◆「寒い朝」、「明日は咲こう花咲こう」…作曲家「吉田正」が遺(のこ)した偉大な遺産に思う!


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               ニッポン人の心と体を救う!

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            2018年02月28日(水)号
                      No.3069

  毎回、まぐまぐ!、メルマ、EMの合計、約7000部発行
   創刊日は2004/10/5。毎日早朝5:00に配信(日曜は休刊)
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『脱コンビニ食!』(平凡社新書)や『危険な食品』(宝島社新書)
などの著者で、食生態学者、そして日本危機管理学会員でもある
山田博士(ひろし)が配信。食べものだけでなく、人としての生
きかたを考えます。なんともユーモラスな文体が人気のようで……。





やあ、こんにちは。
山田博士(ひろし)です。
お元気でしたか!

今日もまたお逢いしましたね。
嬉しいです。
                             
地球という星を平和にしたい。
そして子どもたちの頬(ほほ)に流れる涙をストップさせたい。
ぼくはいつもそれを望んでいます。

そのために、「食べもの」が人を180度変え、家族を変え、
文明を変え、歴史を変えてきた、重い事実を、
ぜひ知ってほしい……。





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             ▼目次▼

【1】山田の電子本「社会の裏側!」の未公開原稿:
   (この欄は「水曜日」に掲載します。お楽しみに!)

   「寒い朝」、「明日は咲こう花咲こう」……作曲家
   「吉田正」が遺(のこ)した偉大な遺産に思う!

【2】先週の「土曜日」に案内した作品(本日が案内最終
   日です!):

   ★「プチ脳梗塞」を防ぐ“一増四減一禁”の黄金
     則!★
    (「いのち運転“即実践”マニュアル」第19話)


【山田の作品集の案内】








______________________________

【1】

     ▼山田の電子本「社会の裏側!」の未公開原稿▼

      「寒い朝」、「明日は咲こう花咲こう」
  ……作曲家「吉田正」が遺(のこ)した偉大な遺産に思う!

~シベリアに抑留された彼の絶望と、明日への希望。ぼくたちは、
 はたして「青い鳥」の住む世界に向かっているのか。それとも~

______________________________

  (この欄は、毎週「水曜日」に掲載します。お楽しみに!)
                                                     


                      ~目次~

★(第1章)

「異国の丘」……。今回のこの原稿では、この歌を歌いながら異国
で励ましあった当時の先人たちが夢見た祖国である日本が、本当に、
先人たちが待ちこがれていた国として、ぼくたちの目の前にあるの
かどうか。そのあたりを考えてみたいなと思っています……

★(第2章)

これらの歌を知って、世界中の子どもたちみんなが笑顔になる日が
来なければ、ぼくたち自身も、「本当の平和」の中にいるのじゃな
いんだということ。それらの意味を、ぜひ知ってほしい……

★(第3章)

「寒い朝」の歌詞に見るこの凄さ。「北風吹きぬく 寒い朝も  野
越え山越え 来る来る春は いじけていないで 手に手をとって
望みに胸を元気に 張って ああ……」ぼくは、この時代を本当に
懐かしく思っています。なぜだと思います? それは……

★(第4章)

歌にはドラマがあります。そして、そのドラマに自分の人生を重ね
合わせて、各自、自分の今後の生きかたを考えるから、何が起こっ
ても闘い続けることができるのだろうなと、ぼくは思っています。
歌がなければ、人間なんていう存在は小さくてか弱い。モロに折れ
てしまいますからね……


               ★
               ★
               ★



★(第1章)

「異国の丘」……。今回のこの原稿では、この歌を歌いながら異国
で励ましあった当時の先人たちが夢見た祖国である日本が、本当に、
先人たちが待ちこがれていた国として、ぼくたちの目の前にあるの
かどうか。そのあたりを考えてみたいなと思っています……



ぼくは、この歌を聴くと……もう涙が止まらなくなります。

鬼の目にも涙なのね、なんて、冷たいことは言わないで下さい。
本当なんです。

その歌とは……「異国の丘」。

この歌は、ぼくの生まれる前に作られて歌われていたものなんです
が、異国の地で、日本の故郷を思う当時の先人たちの悲しみや苦し
さ辛(つら)さが、ぼくの心にグサリと深く突き刺さってくるんで
すね。

不思議です。

まるで、ぼくも、当時、その場にいて、先人たちといっしょに歌っ
ていたかのように。

この「異国の丘」は、吉田正(ただし)さん(1921年-199
8年)が作曲されたものなんです。

第2次大戦末期の1945年8月に、当時のソ連が日ソ中立条約を
一方的に破棄して旧満州や千島列島に侵攻し大虐殺した「大事件」
が舞台でした。

ソ連は、日本兵や民間人たちを、容赦なく連行し、凍(こご)える
シベリアやモンゴルなどの収容所で、強制労働をさせました。

実際には、その収容所は、遠く、ヨーロッパのほうにまで及んだと
言います。

そして、その凍える中で、線路や建物などの建設をするような重労働。

極寒、飢餓(きが)、重労働の三重苦と言われたのが、このシベリ
ア抑留(よくりゅう)でした。

あの極寒の地で、母や父を思い、日本への帰還を夢見ながら、一人
ひとり、いのちが尽きて、母の名前を叫びながら目の前で亡くなっ
て行く戦友たち。

誰にとっても、明日は我が身だったのです。

彼らの心情はいかほどだったのだろう。
未来のない毎日。

それでも、日本への帰還は1946年末に始まりましたが、抑留
が10年を超える人もいたようですね。

歴史に翻弄(ほんろう)された、彼ら一人ひとりの人生を思うと、
ぼくはやはり、この「異国の丘」を涙なくしては歌えません。

厚生労働省は、モンゴルを除く抑留者総数を約56万人、死者を約
5万3千人と推定しています。
でも、実際の総数は60万人以上に及び、死者数は6万人を超える
のではないかとも言われているんですね。

いまもまだ……行方不明のかたも……大勢いらっしゃいます。

そんな極寒の抑留地で、人々は互いに歌を歌いあったりして、励ま
し合いました。

日本の故郷の大地を踏むまでは、何があっても死んでなるものか、と。

そのときに、みんなの中で歌われていたのが、この「●●」だった
わけです(●●は、下記の設問をご覧下さい)。

1943年(昭和18年)に、陸軍上等兵として満州にいた吉田正
さんが、部隊の士気を上げるために作曲した歌が原曲のようですね。
そして、この曲に、やはり抑留兵の一人だった増田幸治というかた
が作詞をされました。

「異国の丘」……。

今回のこの原稿では、この歌を歌いながら励ましあった当時の先人
たちが夢見た祖国である日本が、本当に、先人たちが待ちこがれて
いた国として、ぼくたちの目の前にあるのかどうか。

そのあたりを吉田正さんの歌を振り返りながら、考えてみたいなと
思っています。

悲しいかな、吉田正さんは、1998年に鬼籍(きせき)に入られ
ました。

きっといまごろは、草葉の陰で、ぼくたちの行動の一挙手一投足を、
あのギョロッとした目で見つめていらっしゃることでしょうね。

だから、ぼくたちも、負けてはおれません。

あの極寒の中、戦闘に傷つき入院のベッドの中で、毎日祖国へ帰る
ことを夢見ておられた吉田正さん。

せめてぼくたちにできることは、彼が遺(のこ)したこれらの歌を、
子孫たちに歌い継ぎ、そして彼の思いを末永くバトンタッチして行
くことなのかもしれません。

ぜひ読者の皆さんも、こうした思いを心で抱きながら、歌ってみて
下さい。

まず、この「異国の丘」の歌詞を見ていただきましょうか。

この歌を聴いたのが初めてのかたも、昔はよく歌ったものだという
かたも、ぜひ、聴いてみて下さい。

いつものように……、「音」も出るようにしておきましたので(笑)。



★(第2章)

これらの歌を知って、世界中の子どもたちみんなが笑顔になる日が
来なければ、ぼくたち自身も、「本当の平和」の中にいるのじゃな
いんだということ。それらの意味を、ぜひ知ってほしい……



ぼくが涙なくして歌えない「異国の丘」の歌詞は、下記のとおりです。
どうぞ、ご覧下さい。

そして、どうか、「ついこの間」、このような体験をして来られた先
人たちが、この地球上に現実にいらっしゃったのだということを、
皆さんも肌で感じて下さい。

お願いします。

歴史では、同じことが繰り返されます。

過去を見てみますと、人が忘れたころに、同じような悲惨な事態が
再び起こっているわけですね。

その意味でも、この歌を、いまのように、右を向いても左を見ても、
いかにも「きな臭い時代」に知ってもらうことは、大いに意義があ
るのじゃないかなと思っています。

目の前にある「平和」は、突然、現れたものではないんですね。

多くの先人たちの涙の上に存在しているのだということ。

そして、日本だけが平和であっても、それはまったく意味がないと
いうこと。

世界中の子どもたちみんなが笑顔になる日が来なければ、ぼくたち
自身も、「本当の平和」の中にいるのじゃないということ。

それらの意味を、ぜひ知って下さい。

ささささ、どうぞ……。


             「異国の丘」

    作詞/増田幸治 補作/佐伯孝夫  作曲/吉田正

       1.今日も暮れ行く 異国の丘に
         友よ辛(つら)かろ 切なかろ
         我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ
         帰る日もくる 春がくる

       2.今日も更(ふ)け行く 異国の丘に
         夢も寒かろ 冷たかろ
         泣いて笑うて 歌って耐えりゃ
         望む日がくる 朝がくる

       3.今日も昨日(きのう)も 異国の丘に
         おもい雪空 陽がうすい
         倒れちゃならない 祖国の土に
         辿(たど)りつくまで その日まで

    歌→ https://www.youtube.com/watch?v=9hkoI_r3MLM
 (当時の貴重な映像もご覧になれます。この映像がとてもいい。
  音量が飛び出しますので、最初の音量は絞ってお聴き下さい)


いかがでした?

え?
初めて聴いた?

そ、そうですか(慌てている。)。

まあ、そういうかたも、いらっしゃるのでしょうね。

ぼくが学生時代のころは、これらはすべて「戦争中の歌」として、
あるいは「軍歌」として、みな同じように扱われていました。
そして、すべて退(しりぞ)けられていたんです。

だから、大きな声で歌えなかった……。

そのため、その背景や、それを作った人たちの思いなど、何も分か
らなかったんですね。
誰も教えてくれませんでしたし、若い当時は、知ろうとも思いませ
んでした。

いつも言いますが、若いということは「相手を平気で傷つける」こ
とが、しばしばです。

ぼくも、親父や同年配の世代の人たちを、もっと知るべきだった。
そして、もっと親身になって話を聞くべきだった。

いまになって、そう思っています。
もっと謙虚になるべきだったんですね。

戦争中のことも知らず、当時の世界の動きも知らず、彼らの辛さや
悲しみも分からずに、ただただ頭だけで、「戦争と平和」について
叫んでいたに過ぎない学生時代のぼくが、本当に悔(く)やまれます。

そしていま、ぼくは大いに反省し、恥ずかしくなっています。

親父たちも戦争中は若かった。

そう、みんな10代後半から20代前半です。

そして、ただただ世の中の波に呑(の)まれて、貴重な青春時代を
奪われ、上から命令されて毎日を右往左往(うおうさおう)してい
たに過ぎなかったんですね。

その彼らをいま責めても、何の意味もない。

当時の世界を支配していた存在をこそ、ぼくたちはいまも糾弾すべ
きなのでしょう。
その存在は、「現在の世界情勢」にも深くつながっています。

何度も言いますが、若いということは「相手を平気で傷つける」こ
となんだなあ……と、改めて思うこのごろです。

でも、そう思うようになったいま、当時の人たちの多くは、もう存
命していらっしゃらないわけですね……。

そうだ。
そう言えば、たまたまぼくの親父も、この吉田正さんと同年齢でした。

そして、やはり軍人として、同じ満州で戦争を「させられて」いた
のです。

ひょっとして、この吉田正さんと顔なじみだったのかもしれませんね。

だって、「同じ時期に、同じ世代で、同じ場所に」いたのですから。

そして、吉田正さんといっしょに、ぼくの親父も肩を組み合って、
故郷を悲しく思いながら、この「異国の丘」を歌っていたのかもし
れない。

いま、この原稿を書いていて、ひょっとしてそうなのかも……と本
気で思ってしまいました。

生まれた年がほぼ同じだなんて、本当に不思議ですよね(1年違い)。

きっと、「おい、吉田」「おい、中嶋」なんて言い合いながら、親し
くしていたのじゃないかなあ(笑)。

ちなみにぼくの親父は、旧姓が「中嶋」です。

そして、本当に危機一髪で日本に戻ってきて、母と結婚をして養子
となり、山田になった……というわけです。

すみません、こんなこと、余談でしたね。
つい、親父を思い出して……(涙ぐむ)。

親父と同じく、九死に一生を得たこの吉田正さんは、内地に戻って
きてから、さまざまな歌を作りました。
生涯の作曲数は、2400曲を越えると言います。

いやあ、凄(すご)いものです。

そして、フランク永井、松尾和子、鶴田浩二、三浦洸一、橋幸夫、
和田弘とマヒナスターズなどの、多くの歌手を育て上げました。

ぼくは吉田正さんの、何が好きなのかと言えば、作曲した歌の中に、
希望を抱く内容のものが非常に多いことです。

たとえば、先日も、メルマガでちょっとご紹介した歌。

「明日は咲こう 花咲こう」……など、何度聴いても、いいじゃあ
りませんか。
曲はもとより、詞もいい。

そうだ。
その歌も、下記で再度、ご覧いただきましょう。

それは……。



★(第3章)

「寒い朝」の歌詞に見るこの凄さ。「北風吹きぬく 寒い朝も  野
越え山越え 来る来る春は いじけていないで 手に手をとって
望みに胸を元気に 張って ああ……」ぼくは、この時代を本当に
懐かしく思っています。なぜだと思います? それは……



下記の歌は、先日のメルマガで一部分だけご紹介したと思います。

いい歌は、何度でもご案内しますので……(笑)。

これも、吉田正さんが作曲をしたものですが、吉永小百合さんと三
田明さんが歌っております。

ちょうどぼくが高校生のころは、吉永さんが憧(あこが)れの的
(まと)でした。

彼女は、ぼくより数歳、年齢が上でした。

机に向かって勉強しながら、表向き、「ふん、小百合なんて、なん
だい、そんなもの」なんてブツブツ言いながらも、横目でチラチラ
ッと壁に貼ってあるポスターを眺めていたものです(笑)。

上京してから、あとで、ぼくの友人が、彼女を大学のキャンパスで
見たぞ……なんて教えてくれましたが、やはりそこだけは「光って
いた」ようですよ。

まあ、みんな、そう思っているから光っているように見えるのでし
ょうが、とにかく、ぼくにとってそれは、苦(にが)い苦い青春時
代でした(いったい、先ほどから、山田クンは何の話をしているん
です?)。

そう、「明日は咲こう 花咲こう」……の歌でしたよね。

下記が、その歌詞です(今度は全文入れました)。

音も入れておきましたので、再度、お聴き下さい。


       「明日(あした)は咲こう 花咲こう」

         作詞/西沢爽 作曲/吉田正
         (歌/吉永小百合&三田明)

       1.可愛い蕾(つぼみ)が 花になる
         花は散っても 実(み)はのこる
         その実がこぼれて 花が咲く

         はじめひとつの 花の実が
          いつかは大きな 花園に

          暮しの中に 根をはろう
          あなたもわたしも みんなみな
          明日(あした)は咲こう 花咲こう

        2.根っ子は抱いてる太陽を
          いつも日射しをためている
          小さな双葉(ふたば)の根っ子でも

          雨の恵(めぐみ)を貯(たくわ)えて
          花咲く幸福(しあわせ)夢みてる

          暮しの中に根をはろう
          あなたもわたしもみんなみな
          明日は咲こう花咲こう


          はじめひとつの花の実が
          いつかは大きな花園に

          暮しの中に根をはろう
          あなたもわたしもみんなみな
          明日は咲こう花咲こう……

    歌→  https://www.youtube.com/watch?v=MDF6SKRPECE
  (映画の映像です。音量が飛び出しますので、最初の音量は絞
   ってお聴き下さい)


この歌の、出だしなんか、いいですね。

「可愛い蕾(つぼみ)が 花になる。
 花は散っても 実(み)はのこる
 その実がこぼれて 花が咲く」

う~むむむ。

ぼくも、いままで、下手ながら、多くの歌を作ってきましたので、
こういう部分があると、つい……立ち止まってしまいます。

そして、何度も何度も歌いたくなるようなフレーズです。
しかも、内容もいい。

このような歌の多くに、内容とぴったりの曲を付けて来られた吉田
正さん。

そうだ。
ぼくが高校生のころ。
もう一つ、好きだった歌があります。

「寒い朝」……(省略)。



               ★★                  

          ~本誌は「短縮版」です~

    このあと、長くなりますので、大切な部分もありま
    すが、涙をのんで「約半分」ほどに短縮しました。

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    ただ、山田の時間的な制約があるため、しばらくお
    待ち下さい。下記のフォームで、……○月○日号掲
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     お申し込みフォーム→ https://goo.gl/rbxmBD
 
               ★★



そうそう、吉田正さんの記念館が、彼の生まれ故郷、茨城県日立市
にあると聞きました(吉田正音楽記念館)。

ぼくはまだ訪(おとず)れていませんが、近いうちにぜひ訪(た
ず)ねてみようと思っております。

そこには、映像シアター、ミュージックプレーヤーの貸し出し、レ
コードジャケットの壁、吉田門下生のレッスンに使ったピアノや作
曲に使った机、吉田門下生たちが語るエピソードや写真やヒット曲
など、それに作曲教室、展望カフェ……など、5階まである建物です。

吉田メロディを聴きながら、お茶でも飲まれたらいかが?

そして、ぼくたちの行く道を、吉田正さんといっしょに、考えてみ
ようじゃないですか。

屋外ステージでは、時にはコンサートなどもしているようですよ。
入館料は無料。
JR常磐(じょうばん)線「日立駅」から、タクシーで7分ほど。

21歳の時に徴集されて、ソ連との戦闘で瀕死(ひんし)の重傷を
負ったこともあった吉田正さんでしたが、シベリアに抑留されて過
酷な収容所生活を強(し)いられても、なんとか日本に帰還できま
した。

だけど、軍隊や抑留生活の中で作った作品は、公(おおやけ)には
してこなかったわけですね。

そのためか、いまも、新しい曲が発掘されると言います。

戦友や抑留経験者たちが「ヨシダという仲間」が作ったというかす
かな記憶を手がかりに、現在も発掘の作業が続いているようですよ。

そして、これまでに20曲余りが発見、復元されました。

こうした吉田正さんの歌は、当時、敗戦に打ちひしがれていた日本
人、そして日本という国を、明るく照らし続けてくれました。

こうした歌が存在していたからっこそ、先人たちは、明日に向かっ
て未来を信じ、廃墟の日本を立て直してくれたのでしょう。

この吉田メロディが、今後も、この日本を照らし続けてくれること
を信じながら、ぼくもいっしょに口ずさんで行こうと思っております。

えっと……吉永小百合さんが歌っているから……というだけではけ
っしてありませんので……念のため。

ハハハ……。それじゃまた次回ね。ご機嫌よう。(山田博士)




             ▼設問です▼


設問→ 上記の文章を読み、下記の●●にあてはまるものを、選択
    語句から選んでみよ。ただし2文字とは限らない。

 「そのときに、みんなの中で歌われていたのが、この『●●』だ
  ったわけです」

   【選択語句→ 夕焼け小焼け、異国の丘、牧場の朝】


                           ■答え■

 下記のとおりです。でも、先に答えを見てはいけません。
 本文を再度ご覧になり、十分想像してから答えをご覧下さい。
 きっとその繰り返しが、あなたの明日を輝かせることになると思
 っています。
              答え→ 異国の丘








______________________________

【2】
        ▼先週案内した作品の再案内です!▼

    ~ひょっとして、ご覧になっていないかたのために~

______________________________



        先週の「土曜日」にご案内した作品
         (本日が、案内の最終日です)
             ↓  ↓  ↓
        =======================

    ★「プチ脳梗塞」を防ぐ“一増四減一禁”の黄金則!★

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        =======================

      第19話の案内頁→ https://goo.gl/DiWRRh


             ▼目次▼

【第1章】 

突然倒れた「ホームレスの主人」が乗せられた救急車を、必死で追
いかける犬のお話。これを、まずお聞き下さい。途中でやっと気が
付いてもらって救急車に乗せられて病院へ行ったのですが……

【第2章】 

いったんコトが起きてしまえば、4時間以内に、即「tPA」とい
う薬を処方しないと、後遺症が残ることになります。でも一番いい
のは何かと言えば……

【第3章】 

脳卒中の原因は、高血圧なんです。だけど、それだけを避けようと
してもダメ。「プチ脳梗塞」になった場合は、いままでの食生活や
生きかたなど、人生のすべてを再度見直してほしい。そのどこか
に、それらの大きな原因があるものだと思っています……

【第4章】 

30代でもすでに、その「プチ脳梗塞」への症状が始まっていると
言いますから、その「プチ脳梗塞」が、いつ「本格的脳梗塞」にな
るのかどうか……

【第5章】 

本人は自分の体の中で起こっている現象を知らずに、ただただ「自
分は元気だぞお、元気だぞお」なんて言いながら、天に向かって叫
んでいますが、じつは脳梗塞というのは……

【第6章】 

そういうものを使っていないメニュを、いろいろと、自分で作って
みるのも楽しいじゃないですか。ぼくがいつも作るメニュなど、そ
のどれも「含まれておりません」(笑)。そのため、食材費も、きわ
めて安くつき、「一石何鳥」にもなっております……

【第7章】 

ここで、脳梗塞を予防したり治療するのに「最適な」食べものの名
前をお教えしましょう。それは納豆なんです。この中に含まれるこ
の物質が「血管修復の大工さん」を、より活性化させるからなんで
すね。つまり……

【第8章】 

それに、なぜ、自分はいまの病気を治す必要があるのか。そして、
なぜ、自分は病気にならないための予防する必要があるのか。その
あたりを、ぜひいつも考えてほしい。なぜなら……

【おわりに】 

      第19話の案内頁→ https://goo.gl/DiWRRh





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               ★
               ★



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                  ●●●山田の作品集●●●
 ~ご希望のものがあれば、下記のそれぞれの各専用頁からどうぞ~

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 単行本以外のPDF版や音声版を、毎回、この場でご案内します

      作品集の専用頁→ https://goo.gl/qdYqR2





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 皆さんには関係がないと思いますが、山田が今後も皆さんのた
 めに活動したいため、ぜひその点、よろしくお願いします。
 本日も、お読み下さり、ありがとうございました。